こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。
今回は映画『ともしび』のあらすじ、感想です。この映画『ともしび』は分類ではミステリー映画のようなのですがかなり分かりづらく、映画の中で起きることの何もかもを感じていようと必死で見た映画でした。
ミステリー映画というのに、誰も殺されないし脅しもしないし脅されもしない。
ただただ、主演の名女優”ランプリング”の表情や佇まい、視線からの状況や彼女の感情は変わったの?怒っておるの?悔しいの?泣いているの?などと、必死で探り続けていたらラストになってしまったという映画です。
解説には、ひとりの女性が、もう一度”生きなおし”を図るまでの、哀しみと決意を追う人生の最後のドラマとあり、確かに哀しみがずっと彼女の心の底を這っているような感じは受けますが・・・。
それでは映画「ともしび」のあらすじや感想を書いていきます。まずは映画.comの解説から始めましょう。
映画『ともしび』
映画.comの評価
☆3.1
『ともしび』解説
「まぼろし」「さざなみ」のシャーロット・ランプリングが、2017年・第74回ベネチア国際映画祭で主演女優賞を受賞したドラマ。
ベルギーの地方都市を舞台に、人生も終盤に差しかかった主人公の女性が、さまざまな業を背負い、もう一度「生きなおす」までの悲しみや決意を描いたミステリードラマ。
ベルギーのある小さな都市で、夫とともに慎ましやかな生活を送っていたアンナだったが、夫が犯したある罪により、穏やかだった生活の歯車が少しずつ狂い始めていく。
やがてその狂いは、見逃せないほど大きなものとなっていき……。
共演に「ル・アーヴルの靴みがき」のアンドレ・ウィルム。監督はイタリア出身のアンドレア・パラオロ。
キャスト
アンナ :シャーロット・ランプリング
アンナの夫:アンドレ・ウィルム
エレーヌ :ステファニー・ヴァン・ヴィーヴ
ニコラ :シモン・ビショップ
演技の先生:ファトゥ・トラオレ
スタッフ
監督・脚本:アンドレア・パラオロ
脚本 :オーランド・ティラド
製作 :アンドレア・ストゥコビッツ、ジョン・エンゲル、
クレマン・デュヴァイン
撮影 :チェイス・アーヴィン
音楽 :ミケリーノ・ビシェリャ
2017年製作/93分/G/フランス・イタリア・ベルギー合作
原題:Hannah
配給:彩プロ
公式サイト:映画「ともしび」公式サイト 2019年2/2公開
【受賞歴】
第74回 ベネチア国際映画祭(2017年)
【受賞】
ボルピ杯(最優秀女優賞) シャーロット・ランプリング
わたしの勝手なあらすじ、感想
私の勝手な評価
☆4.2
映画.comの評価が3.1というのは納得です。なぜなら、この映画は「ああだからこうです。」とか「このようなことからこんなことになりました。」ということが一生懸命探っても見えてこないのです。
ちょっと暗めの画面と中高年らしい主人公アンナを演じたシャーロット・ランプリングという女優さんの眼差し、たたずまいからこの映画をご覧の皆さんが感じ取ってくださいませ。という感じなのです。
でも、必死でシャーロット・ランプリングを見続けていると、なんとなくですが「老い」の手前のあきらめやそれでも生きていこうとする小さな「ともしび」が心の奥深くに見えるような気がしました。
勝手なあらすじ
ベルギーの小さな地方都市。老年に差し掛かったアンナ(シャーロット・ランプリング)と夫(アンドレ・ウィルム)は、慎ましやかな暮らしをしていた。
ヘルパーのようなパートのお仕事もするし、演劇が好きなのか演技の勉強もして、スポーツジムに通って泳いでもいる普通の中高年女性と思われるアンナが主人公。
小さなダイニングでの煮込みだけの夕食がいつものメニュー。会話もなく淡々とした家族の営みには数十年の時間が培った信頼となれ合いが見えてくる。
ところが、次の日夫がなにかしらの疑惑で警察に出頭する。なぜだろう・何かしたのだろうか?と思って見ていたが、とくにどんな罪なのかもわからにが夫はそのまま収監される。
そんな家族にとっては大事件なはずの夫の収監だけど、アンナにとってはあまり影響がないように見え、毎日の生活もそれほどの変化がなかった。
変わらないように見える暮らしの中でも、実際はアンナの心の奥の奥で起きているであろう感情の変化を、その立ち姿や顔の表情筋の動きから感じ取るのはとても大変!
ただ、食事のメニューは煮込み料理ではなく、たったひとりの食事らしく簡単な卵料理だけをとても静かに咀嚼していく。
夫の収監されてもたいして変化がないように感じていた彼女の生活も、当然のことだが少しづつ悪い方へ変化していく。
上の階から汚水が溢れ出してくれば出向いて様子を正し、なんとか日常を取り戻すためにか淡々と生活を続けるアンナ。
どうして、こんなにも淡々と物事を片付けていくのか、その心中を勝手に奥の深いところまでのぞきたくなるようなこの感情こそをミステリーと読んでいるのかもしれない。
まさに映画『ともしび』は、女優シャーロット・ランプリングが演じている事、そのものが見どころと言える映画のようだ。
普通にごく一般的に優しく思いやりをもって夫に接してきただろうし、家庭も大事にしてきたはずだ。
生活費をかせぐためにお金持ちさんのおうちでのヘルパー的な仕事もする。しかもけっこうフレンドリーにこなす。
そんな慎ましく暮らしている老主婦のアンナという役を、シャーロット・ランプリングという女優さんが演じた。ということこそが「一番の見どころ」。
なぜなら、本当に心の奥がわからない!何を感じろというのだ?と常に感じ、しかも、それは見る側の未熟さだろう!と、自己反省までさせてくれる。
映画が流れている間は、もうアンナだけの表情を頼りに場面ごとのカラーや気持ち、状況などを必死で探っていた。
家庭のことや仕事もしっかりする普通の主婦な反面、自分のやりたいと思う演技の勉強もする、ストレス発散や体力維持のためなのかスポーツジムで泳ぎもする。
誰もが普通だと思うちょっと年のいったおばちゃんというかおばあちゃんがアンナ。
もし普通の主婦が、年老いた夫が犯した罪で収監されたりしたら大騒ぎではないだろうか?
まずは生活費などの金銭的なこと。さらには、すでに結婚して独立した息子には孫までいれば世間体のことも気になる。
ぜったいに、生活の歯車が狂い出すはずなのに、淡々とルーティン通りの暮らしを繰り返し、上階の水浸し事件にもつきう。
もしかしたら、この日常を変えることなく暮らしているのは、世間への「夫の収監には惑わされないぞ!」というお気持ち表明なのかもしれない。
お気持ち表明感たっぷりな日常は、貧しいながらにケーキを作り、ユリの花の花粉が落ちないようにと、ひとつひとつ花粉部分をつまんで取った花束を手みやげに、息子の家を訪ねたりと本当に充実していてブログにアップしてもらいたいほど。
ただ、丁寧に作った花束を持って訪ねた息子には「かまわないでくれ」と追い返されてしまうのだけど・・・。
きっとどんなにか悲しかっただろうに。
この息子からの冷たい仕打ちあたりから長年連れ添った夫の罪によって、これまで普通に暮らしていただけなのに、何をしたわけでもないのに、自分の人生が普通でなくなってしまうという理不尽さや悔しさが一気にアンナから湧き出してくる。
これまで自分が家族に捧げて生きてきた人生って何?ってアンナも思い悩んだのではないだろうか?と同じ女性として思う。
多分「あの写真入りの封筒がでてきたの」と夫に告げるセリフにある”あの写真”が、あのタンスの後ろからでてきた時に、やっと、本当のところ自分も長いあいだ夫の罪を隠し共有してきたんだ。ということに気づいたのかも?
”あの写真”を必死で忘れようと努力しているうちに、知らぬ間に心の隅にに夫の罪を押し隠し、しあわせそうに暮らしていたのかも?
ただ、その罪を隠している間にもアンナは精神的な深い部分で少しずつ追い詰められ病んでいたのかもしれない。
この映画を見ているわたしたちには、夫が犯した罪が一体何なのかの説明的な場面もなくわからずじまいだけども・・・。
そこはあえての説明なしだったようで、監督はこう語っています。
「映画の核心から注意を逸らしたくなかったからです。核心というのは、夫が逮捕されて去ったことでアンナは自分自身と折り合いをつけなければならなくなるということです。」と語っているので、あえて夫の罪の説明はなかったってことか。
夫の罪は映画の核心ではなく、逮捕されてアンナの前から姿を消した。という事実のみが必要だったってことだろうか?
アンナの心に大きな変化があったのかも?と感じさせる場面は実際いくつかありました。わたしが感じただけかも?ですが、順番に書いていきます。
①夫と一緒に、刑務所と思われる場所に移動中のタクシーの中で、夫から腕時計と指輪を渡される場面。長年慣れ親しんだ夫との別れをここで感じたのでは?
②ヘルパーの仕事を早退してわざわざバスに揺られ、漂着したクジラのいる海岸へでかけた。ただ、そこにいたクジラは死にかけているのか?死んでいるのか?
「沖に戻すにも方法がない」と新聞に書かれていた。
お金持ちのヘルパーの仕事も、あくまで”頭痛”を理由に礼儀正しく早引けし、漂着したクジラを見に行ったところからも内心ではジワジワと苦しんでいる様子も伝わってくる。
アンナは、自分が老いていく姿とクジラのその死にかけている姿を重ね、このまま自分は朽ち果てるのか?
クジラは「沖に戻すにも方法がない」と新聞に書かれていた。アンナはクジラと同じ様に「自分も老いを止める方法もないし、生きるのをやめる方法もない」と思ったのか。
生き物すべてがいずれは朽ち果てるものと納得した。のかは、わたしに判断はできないけど、そろそろ年老いた自分の行末を見つめる時期だと悟ったことは確かだと思うのですが、いかがでしょう。
年老いてからもつつましく暮らしていた平穏な日常を夫の罪から奪われ、息子からも結びつきを拒否されるという悲しくてつらくやりきれない気持ちの中で暮らしていたアンナ。
自暴自棄にもなるであろう状況が続いていても、年齢からくるものなのかすべてをあきらめ投げ出すことはしない。
ついに、いつもは楽しく演技の勉強をしていた教室からなにかに突き動かされたように、周囲がビックリするくらい突然、足早に去っていくアンナ。
あとは本当の自分で生きていくだけさ!と開き直って、老いを受け入れながら生きていってくれたらいいな。
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勝手な感想
まさに中高年の女性という意味で、わらしという存在をアンナという主人公に重ねるて見ていた部分がたくさんありました。
家族という依存すべきしっかりとした形があるアンナは、結婚もしていない、子もいない、ついでに職も金もないという(笑)アラ還なわたしとは全くちがう心持ちで生きているのだろうとは思います。
こんなアラ還世代のわたしでも、ここまで年を重ねてきて、バリバリ働いていた頃から比べれば、やっぱり喪失感みたいなものがいつもどこかにあります。
「年配者はこういうもの」みたいなイメージがあるのが生きづらいな。とは感じているものの、一匹オオカミなためアンナのように夫や子どもに依存することも、拒絶されることもないだろうなと楽に生きている部分も否定できません。
アンナのように夫や家族だけが「生きがい」で「生活そのもの」という生き方は、とてもしあわせなのでしょうが、反面それらがなくなった時のとまどいや喪失感、絶望などは計り知れないものだろうと想像します。
日本でも、世界でも、このアンナのように家庭を大事に生きている女性の方が圧倒的に多いわけで、このような喪失感や絶望を味わっているのかもしれない女性もたくさんいるでしょう。
アンナのように「これからは本当に自分で生きていくさ!」と、開き直って元気に過ごしもらえたらいいな。
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