こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。
今回の映画は、わたしの記憶にもはっきりと残っているあの昭和の大きな2つの未解決事件の一つ「グリコ、森永事件」をモチーフとした原作を映画化した作品「罪の声」です。
昭和生まれのアラ還としては、1984年~1985年当時スーパーやお菓子屋さんからグリコや森永のお菓子が消えたことなどをリアルタイムで見ていたので、どうして犯人が捕まらないのか?当時は非常に不思議に思ったことを覚えています。
確か社長さんだったかが誘拐され、「諸々あったけどどうにか犯人の目を盗んで無事逃げ帰ってきた」という状況がどうしても不思議で仕方なかった。
不思議というより社長さん本当に誘拐されてたの?うそじゃないの?なんて思ったものです。
原作は読んでいたので犯人は知っていたものの、映画「罪の声」ではどんな風に犯人を特定しどんな感じの犯人像になるのかと、公開からずっとWOWOWで放送されるのを待ちわびていたのです。
言い訳ですが、決してケチとかじゃなく「コロナ禍だったから」ってことでお願いします(笑)
主人公は、小栗旬と星野源で映画では初共演が話題にもなり、報知映画賞でも作品賞、主演男優賞、助演男優賞と3冠に輝いたほど。
星野源に関しては、あの超人気ドラマの「逃げるは恥だが役に立つ」で共演したガッキーこと新垣結衣と現実世界でも、2021年5月19日に結婚を発表しコロナ禍の暗かった世の中を一気に明るい祝福モードにしたのはさすが!
星野源がこれまで出演した映画「引っ越し大名!」「箱入り息子の恋」もけっこう星野源自身のキャラが生きた作品でおもしろかったので、今回の「罪の声」では、幼いころの自分の声が30年以上前の未解決事件で脅迫に使われていたことを大人になってから知る人を、どう演じているのかが楽しみで見た映画です。
では、さっそく映画.comの解説から始めましょう。
映画「罪の声」
映画.comの評価
☆3.9
映画「罪の声」解説
実際にあった昭和最大の未解決事件をモチーフに過去の事件に翻弄される2人の男の姿を描き、第7回山田風太郎賞を受賞するなど高い評価を得た塩田武士のミステリー小説「罪の声」を、小栗旬と星野源の初共演で映画化。
平成が終わろうとしている頃、新聞記者の阿久津英士は、昭和最大の未解決事件を追う特別企画班に選ばれ、30年以上前の事件の真相を求めて、残された証拠をもとに取材を重ねる日々を送っていた。
その事件では犯行グループが脅迫テープに3人の子どもの声を使用しており、阿久津はそのことがどうしても気になっていた。
一方、京都でテーラーを営む曽根俊也は、父の遺品の中にカセットテープを見つける。
なんとなく気になりテープを再生してみると、幼いころの自分の声が聞こえてくる。
そしてその声は、30年以上前に複数の企業を脅迫して日本中を震撼させた、昭和最大の未解決人で犯行グループが使用した脅迫テープの声と同じものだった。
新聞記者の阿久津を小栗、もう1人の主人公となる曽根を星野が演じる。
監督は「麒麟の翼 劇場版・新参者」「映画 ビリギャル」の土井裕泰、脚本はドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」「アンナチュラル」などで知られる野木亜紀子。
第44回日本アカデミー賞最優秀脚本賞受賞。
2020年製作/142分/G/日本
配給:東宝
オフィシャルサイト:映画『罪の声』公式サイト
【スタッフ】
監督
土井裕泰
原作
塩田武士
脚本
野木亜紀子
プロデューサー
那須田淳 渡辺信也 進藤淳一
撮影
山本英夫
音楽
佐藤直紀
主題歌
Uru
助監督
藤江儀全
【キャスト】
阿久津英士:小栗旬
曽根俊也:星野源
水島洋介:松重豊
鳥居雅夫:古舘寛治
生島総一郎:宇野祥平
生島千代子:篠原ゆき子
生島望:原菜乃華
生島秀樹:阿部亮平
曽根光雄:尾上寛之
若き日の達雄:川口覚
若き日の真由美:阿部純子
水澤紳吾
山口祥行
堀内正美
木場勝己
橋本じゅん
桜木健一
浅茅陽子
高田聖子
佐藤蛾次郎
佐川満男
宮下順子
塩見三省
須藤みち:正司照枝
沼田爆
岡本麗
若葉竜也
須藤理彩
曽根亜美:市川実日子
河村和信:火野正平
曽根達雄:宇崎竜童
曽根真由美:梶芽衣子
【受賞歴】
第44回 日本アカデミー賞(2021年)[受賞]
最優秀脚本賞 野木亜紀子
[ノミネート]
最優秀作品賞
最優秀監督賞 土井裕泰
最優秀主演男優賞 小栗旬
最優秀助演男優賞 宇野祥平
最優秀助演男優賞 星野源
第45回報知映画賞
作品賞・邦画
主演男優賞 小栗旬
助演男優賞 星野源
映画「罪の声」勝手なあらすじと感想
勝手な評価
☆4.2
勝手なあらすじ
主人公の大日新聞の文化部記者阿久津英士(小栗旬)は、以前いた社会部の時効になった未解決事件を追う特別企画班になぜかしら呼ばれ、英検1級の腕を買われロンドンへ。
30年以上前、オランダで起きたフレディ・ハイネケン誘拐事件の前後、探偵まがいの行動をしていた東洋人を探しにでかけ、のちに再び会うことになるソフィー・モリスに「当時親しくしていた中国人はいない」と断言されサンドイッチをごちそうしてもらい、何の収穫もないまま阿久津は帰国する。
時効を迎えた未解決事件を追っても、当時の関係者を苦しめるだけで無駄なことだと思いながらも事件の真相をつかむため取材で忙しい毎日をおくっていた。
一方京都では優しそうな父親のあとを継ぎ、テーラーを営みながらしあわせに家族と暮らす曽根俊也(星野源)の姿があった。
子供のおもちゃを探すうちに、押入れの高いところから父親の遺品などが入ったダンボールを見つける。
自身も子供の頃遊んだであろうキャラメルのおまけのようなおもちゃを子供に渡したあと、古いカセットテープと黒い手帳を見つける。
あの頃は誰もが持っっていたラジカセに古いカセットテープをセットして聞いてみると、歌を歌っている自分の声が途中から、道案内をしているような自身の声が聞こえ「俺の声だ」と不信を抱く。
家族に迷惑がかかるからと母にも嫁にも言えずに心のなかにしまい込もうともしたが、どうしても気になり英文で書かれた手帳を読もうとするがわからない。が、ギンガと萬堂という文字だけは日本語だった。
ネットで検索するとさすがに大きな未解決事件だったせいか、身代金の受け渡しの道案内に使われた声が再生できるようになっている。
恐るおそる聞いてみると、犯人グループが身代金の受け渡しに使用した脅迫テープの声は、まさににカセットトテープに録音された自身の声と全く同じだった。
あの事件の犯人は父親なのか?と不信を抱く。
「ギン萬事件」と父親のかかわりを知りたかった曽根は、当時のことを知る父親の親友で英語の読める堀田に会う。
曽根には達夫という父親とは2つ違いの叔父がいたが、他人同然で会ったこともなかったが、30年以上前にイギリスで消息を絶っていると堀田から聞く。
あの黒い手帳の中には、オランダのハイネケンの経営者が誘拐された事件の犯行の手口やなぜ逮捕されたかが書かれていて、堀田からあの手帳の英語はイギリス英語で書かれていると聞き、曽根は当然その黒い手帳は叔父のものと考え始めるが、だとするとあの声のテープはなんだろう?
さらに堀田が会わせてくれたフジサキから、叔父の達夫が20代の後半からロンドンにいたことや、曽根の祖父は内ゲバの巻き添えになり、当時「誤爆」と呼ばれ1974年の暮れに過激派グループに襲われ亡くなったことをはじめて知らされる。
ところが、当時の新聞が祖父の死を内ゲバの一環と報道したために葬儀は赴任先でひっそりと行われ、勤めていた会社も祖父が極左集団に関わっていたと決めつけ対応が冷たかったという。
そんな会社を叔父の達夫は恨むようになり、いつの間にか達夫の敵は祖父の勤めていた会社になり、反資本主義や反帝を唱えるようになったのだが、その祖父が勤めていた会社こそがギンガだった。
やがてテーラーの曽根と新聞記者の阿久津は運命に導かれるように出会い、互いの立場や仕事を気遣いながらも、食品会社を標的にし、誘拐に身代金要求、さらに食品への毒物混入など次々と凶悪な犯罪が警察やマスコミを挑発しつつ、世間の関心を煽った「ギン萬事件」の真相へと迫っていく。
勝手な感想
この映画「罪の声」は、昭和の時代に実際に起きた未解決事件「グリコ、森永事件」をモチーフに、塩田武士が書いて大きな話題になったベストセラー小説「罪の声」を原作に、小栗旬と星野源の初共演で映画化されコロナ禍に公開された話題の映画でした。
「グリコ、森永事件」は、昭和の時代に生きていた人なら知らない人はいないであろう「3億円事件」とともに、よく知られる未解決事件です。
2016年に高い評価を得た塩田武士のベストセラー小説ということで、わたしは文庫化されてから読んだ記憶があります。
「なーんだ!犯人って時効で捕まってはいないけど、実はしっかりとわかっているんだね」と、小説なのに現実との区別がつかなくなり「犯人確定!」だと、すっかり錯覚してしまったほどよくできた小説でした(ブログ主ごときが言う?)
小説「罪の声」は、フィクションでありながら警察以上の想像力を生かし、かなりの量の取材で得た情報を組み立てて、読者に「本当の犯人はこの人しかいないだろう!」と思わせるリアリティさが当時話題になったそうなので当たり前かも。
「3億円事件」もたびたびドラマ化されていますが、この事件のように時効を迎え未解決に終わってはいるものの、ドラマや推理した読み物などは多く世に出ています。
そういったものを見るたびに「絶対にこの人が絶対犯人や!」って思えるのだから、時効になる前にどうして犯人を特定、逮捕できなかったのか不思議に感じて仕方ないです。
なんてことよりも、今回のこの映画ではその捕まらなかった犯人たちが身代金受け取りの道案内に使われた「脅迫テープ」の声が子供の声ということに注目しています。
親や血縁者が子どもを犯罪に利用したために、その子どもたちはひどい暮らしを強いられあげくに死んでしまったもの。犯罪を起こすしか生きる道がなくて起こした犯罪によって、世間から身を隠して暮らすしかなかったもの。
親がその事件に声を使われた事実をいっさい隠し通し、犯罪を犯した血縁者を亡き者として扱ったおかげでどうにか普通に家庭を持てたもの。
まずは、親が子どもを自身の「持ち物」のように犯罪を手伝わせるなんて絶対にしてはいけないこと。
親の行いは、その後の子どもの人生を大きく狂わせることを知らなくてはいけないでしょう。
だけど、自身の子どもを守るためとはいえ、犯罪を起こした身内の人間をまるで亡き者のように一切の存在を匂わせない家庭はアリなのだろうか?
自然の流れでの死を迎えることができなかった。なんの落ち度もない父親を内ゲバの巻き添えによって死なせた左翼集団を許せなかった。その死を新聞報道だけを信じ、悼んでくれなかった父親の勤め先を恨んでしまった。
そんな青年に対して、他人は、親は、血縁者は何ができるのだろうか?と。誰かにその許せない気持ちや恨みを消し去ることはできたのだろうか?
けっきょく、実際に起きた「グリコ、森永事件」でも、子供の声が使われていたと聞きますが、当時子どもだった人たちは今はどんな風に生きているのでしょうか?
やはり、誰かを恨んだり許せないままの心を抱いて生きているのでしょうか?
たとえば、時代を少し前に置き換えて考えてみると、戦争でひどい目にあった兵隊やその家族、指揮官や軍部などの人間も含めて日本のほとんどの国民が世の中が信じられなかった時代。
誰かを恨んだり許せないまま生きてきた世代の親のもとに生まれた子どもたちは、何かしら感じてしまうものではないでしょうか?
成長する課程で、その何かから逃げるためにどうにかまっとうに生きたいがために「学生運動」にのめり込む若者が増え、当時は盛んに行われていたのでは?
終戦が1945年(昭和20年)で、1955年代(昭和30年代)には、日米安保条約反対闘争などをめぐって運動が過激化したが、1965年代(昭和40年代)になると、政治闘争に加えて大学の管理運営や学費値上げなど学園問題を取り上げ、一般学生を巻き込む形で大学内における紛争が頻発するようになり、昭和44年1月の東京大学安田講堂事件の前後から、大学紛争は全国に拡大し、過激化、長期化した。
このころ、欧米諸国においても、ベトナム反戦運動等を契機として、学生運動が多発した。
これらは、戦後に生まれ育った学生、大学の大衆化、新左翼の台頭など共通する背景を有しており、我が国の学園紛争もこのような国際的な時代の流れの中にあったと言われている。
参照元:一 学生運動:文部科学省
その後、1969年(昭和44年)8月大学に関する臨時措置法により、各大学における大学改革への取り組みが進むとともに紛争の自己解決が図られ、11月以降は急速に沈静化の方向に向かった。
一般学生の学生運動離れは進行したが、闘争の場は学園外に重点が移るようになった。
このような中、孤立化した過激派の暴力的党派抗争が多発して死傷者も多く出た。
学生を含む「連合赤軍」が当時の社会に衝撃を与えた同志に対するリンチ事件『山岳ベース事件』が起きたのは1971年(昭和46年)~1972年(昭和47年)。
『浅間山荘事件』は1972年(昭和47年)2月19日~2月28日にかけて、長野県佐久郡軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」で連合赤軍が人質をとって立てこもった事件。
戦争を経験した両親のもとで、不遇な子供時代を過ごした大人になりかけの青年たち。
彼らが世を憎み学生運動に走ったのは、ある意味仕方ないことのように感じます。
ただ、これからのSDGsの時代は「仕方ない」では済まされない「正しいもの」だけが生き残る時代のように思えるのですが、みなさんはいかがでしょう。
ここで、あの有名な『あさま山荘事件』を知らない世代のために「連合赤軍」や「あさま山荘事件」をちょっと説明してきましょう。
連合赤軍とは、1971年(昭和46年)から1972年(昭和47年)にかけて活動した日本の極左テロ組織、新左翼組織の一つ。
ソ連から世界に共産主義革命を輸出する運動のことを「国際共産主義」といいます。しかしソ連共産党はやがて自国の国造りを優先し、各国の共産党もそれに従いました。
そんな中、「共産党が革命をしないなら自分たちで起こそう!」と考える「共産主義同盟」(共産同、ドイツ語でブント)というグループができました。
「共産主義者同盟赤軍派」(赤軍派)もそのひとつ。世界同時武力革命を起こそうと主張していた、いわば原理主義組織です。
「赤軍派」は、1969年(昭和44年)に結成され、翌1970年(昭和45年)3月、塩見孝也議長は逮捕され、その直後、田宮高麗(故人)ら9人がハイジャック事件を起こし北朝鮮に亡命しました。これが『よど号 ハイジャック事件』です。
国内に残ったメンバーは派出所などを襲ったり、山岳アジトで武闘訓練を行ったりするうちに、逮捕者が増えたため、別の過激派と合流。
「連合赤軍」は、「赤軍派」が分かれた小グループの一つと、「京阪安保共闘」などが合流してできた組織です。
「赤軍派」から分派したグループの中には、重信房子受刑者らが所属した「日本赤軍」もありました。
「赤軍派」は「M(マフィア)作戦」と称して金融機関を襲い、活動資金が豊富でした。一方、「京浜安保共闘」は、毛沢東主義の武闘派で銃砲店などから武器を強奪していました。
連合赤軍のリーダーは主に二人
・森恒夫(赤軍派)・・・逮捕・起訴後に自殺
・永田洋子(京浜安保共闘)・・・死刑確定後に獄中で死亡
二つの組織は合流後、主導権争いが起き、ささいなことでいがみ合っていたようです。
1971年(昭和46年)以降、メンバー約30人は関東付近の山岳アジトに潜伏。
1972年(昭和47年)2月、群馬県内各地で「異臭を放つ若者の集団がいる」という目撃情報が相次ぎ、群馬県警は山狩りで永田と森の幹部2人を逮捕。
残りのメンバーは逮捕者を出しながら移動を続け、最終的に5人が「あさま山荘」にたどり着きます。
長野県警に加え警視庁や警察庁が現場入りし、山荘を包囲。
5人はライフルなどを発泡し抵抗しましたが、10日目、警察は重さ1.7トンの鉄級で壁を壊し突入。
人質を救出し5人を逮捕しましたが、警察2人と市民1人が犠牲になりました
NHKはこの様子を計10時間18分にわたり中継。民放各社も含めた合計視聴率は90%に達し全国民の耳目を集めました。
映画「罪の声」で、35年以上前に起きすでに時効となっている犯罪史上類を見ない劇場型犯罪の真相と謎の犯人グループを追う新聞記者の阿久津英士。
もう一人の主人公曽根俊也は、父から受け継いだテーラーを営み、平凡な毎日を過ごす中で、偶然にも幼少時の自分が知らないうちにこの日本中を震撼させた未解決の大事件に関わっていたことを知ってしまう男。
このふたりの主人公を通して
・1964年生まれの広島出身の原作者塩田武士。
・『いま、会いにゆきます』『涙そうそう』『麒麟の翼』『ビリギャル』など映画ファンからも評価の高い数々の大ヒット作を手掛けてきた監督の土井裕泰。
・ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」「重版出来!」などで土井監督とタッグを組み、「アンナチュラル」や「MIU404」も手掛ける脚本の野木亜紀子。
・ドラマ「テセウスの船」でも大きな話題を呼び、その独特の歌声と音楽性で多くのファンを魅了する主題歌担当のUru。
これらの実力ある製作側は「罪の声」という表題に何を込めているのだろう。何を視聴者に感じ取ってほしいのだろう。
Uruは「生きていると本当に様々な事がありますが、もし今、悲しみや苦しみの中にいて希望を見出せずにいたり、素直に涙を流す事が出来ずにいる方がいるのならば、この曲が「今悪い方へ振っているその振り子は、次は必ず光の方角へ振る」という希望になってくれることを願います。」と言っています。
アラ還のわたしがこの映画から感じたことは、Uruさんがおっしゃっていることのまんま、いつの時代もどこの国でも悲しみや苦しみを抱いて生きている人はたくさんいます。
むしろ苦しんでいない人はいないのかもしれません。
そんな中にいても涙を流すこともできずに、苦しんでいることさえも感じることができない人がいる事を知ることができるのが映画ではないのかな?と。
映画はもちろん新聞や小説などで、いろんな苦しみや悲しみを抱いている人がいることを知り、または自身がその苦しみの中にいることを知り、それでも「希望」や「夢」を自身の手でつかむ手伝いをしてくれるのが映画や音楽ではないでしょうか?
映画っていいですね!なんてことで今回はおしまい。
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