こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。
今回ご紹介する映画は「楽園」この映画は、田舎への移住を考え直したくなる映画です。
映画「楽園」
映画「楽園」解説
「悪人」「怒り」などの作品が映画化されてきたベストセラー作家の吉田修一の短編集「犯罪小説集」が原作。
「悪党 加害者追跡調査」「糸」「友罪」などの社会派的な作品が多いかな?と思う瀬々敬久監督が映画化した作品です。
出演は、映画ではちょっと訳アリの役が多くて、その苦悩っぷりが最高と感じている綾野剛、現在放映中のNHK朝ドラ「おちょやん」のチャキチャキの浪速女性を演じている杉咲花、もはや説明不要の佐藤浩市らの豪華キャストが集結しています。
田舎に住むことが「楽園」なのかしら?玉置浩二の歌う「楽園」みたいな”生きていくんだ!それでいんだ!”みたいな元気が出る映画かしら?と思って見始めるのなら、どちらもNO!です。
人が犯罪者になってしまうのは、すごく簡単なこと。明日は我が身って感じる映画です。
主題歌は「RADWIMPS」の野田洋次郎と、女優の上白石萌音がタッグを組んだ「一縷(いちる)
この映画「楽園」の主題歌は人気ロックバンド「RADWIMPS」の野田洋次郎と、女優の上白石萌音がタッグを組んだ「一縷(いちる)」で、悲しい歌詞が心に残ります。
映画「楽園」あらすじ
ある夏の日、ある地方都市の青田に囲まれたY字路で、愛華ちゃんという少女が姿を消します。
事件は解決されないまま、Y字路で分かれるまでつまりは愛華ちゃんが姿を消す直前まで一緒にいた親友・紡は心の奥に深い罪悪感を抱えながら成長していきます。
紡は近所に住む青年豪士とふとしたことで知り合い、お互いに惹かれていくのですが、それから12年後、かつてと同じY字路で再び少女が行方不明になる事件が起きます。
町営住宅で暮らす孤独な男・豪士が犯人として疑われ、追い詰められた豪士は街へと逃れ、そこである行動に出てしまいます。
さらに1年後、東京から帰ってきて愛犬と暮らしながら養蜂を生業にしながら暮らす初老の善次郎は、村おこし事業を巡る予算などのこじれから「村八分」にされてしまいます。
追い込まれた善次郎は、残忍なある事件を起こしてしまうのです。
映画.comの評価
☆3.3
キャスト
綾野剛:中村豪士
杉咲花:湯川紡
村上虹郎:野上広呂
片岡礼子:久子
黒沢あすか:中村洋子
石橋静河:田中紀子
根岸季衣:藤木朝子
柄本明:藤木五郎
佐藤浩市:田中善次郎
スタッフ
監督
瀬々敬久
原作
吉田修一
脚本
瀬々敬久
音楽
ユップ・ベヴィン
主題歌
上白石萌音「一縷(いちる)」
《作品データ》
製作年:2019年
製作国:日本
配給: KADOKAWA
上映時間 :129分
オフィシャルサイト:映画『楽園』公式サイト
わたしの勝手なあらすじと感想
勝手な評価
☆3.8
勝手なあらすじと感想
何の予備知識もなく綾野剛と佐藤浩市が出る映画だから、そして「楽園」という題名からさぞや楽しい映画だろうと思って見始めたのですが、真逆なラストにびっくり仰天です。
が、ただわたしが田舎の生まれのせいか、腑に落ちる点も多々あり、これはこれでよくあるお話。確かこのような事件が過去にあったような気もして、過去の記憶をたどってしまいました。
今やテレワークが増えた企業が多いことから、神奈川や長野、静岡など通勤圏内の田舎に引っ越して移住をするという中高年が増えていると聞きます。
田舎に憧れるという気持ちもよくわかります。 ガーデニングをやるのも楽しみ。ご近所の方とできた農作物を交換するのも楽しみ。自然は最高なんて言いながら田舎に引っ越すみなさんにぜひ見ていただきたい映画です。
なぜ、移住を希望する人たちに見てもらいたいか。と言いますと田舎に住み続けている人たち、いやいや日本人全体に言えることかな。
とにかく、新しく村や田舎に入って来る人や物などに対峙したときの人間の本質が、この映画にはすごく描かれているから。
とくに、田舎の人はいい人というイメージがあるかもしれませんが、それはとんでもない考え違いです。「時にはいい人」というのが」正解ではないでしょうか?
少なくとも実際に田舎に生まれ、今は生まれた田舎を逃れ、少し離れた知らない人ばかりの土地に住んでいるわたしは実感しています。
なぜなら田舎の人達の陰口、噂話は尋常ではありません。その土地に来た人たちが自分たちに従えばそれは、それは親切にしてくれますが、一度でも、その地に住む人達のテリトリーを荒らすようなことがあれば、鬼にも蛇にもなるのが田舎の人たちだと知っています。
よく所さんの番組などで、ご近所のおじいちゃんやおばあちゃんが面白い井戸端会議をしていて大笑いされられますが、あの井戸端会議の内容が悪い方へ転がった時の恐ろしいことったらありゃしませんから。
「楽園」を夢見て、田舎に来るみなさんが、そんな「時にはいい人」たちを上手にコントロールできるかは、やはりこの映画で描かれているようにちょっと疑問です。
そろそろあらすじにと感想に入っていきます。
夏の暑い日にY字路で起きた少女誘拐事件が起き、誘拐された少女と一緒にいた紡(杉咲花)が、被害者の祖父五郎(柄本明)から浴びせられた言葉。「なぜ一緒にいたお前は生きている!」
被害者の祖父五郎のそんな気持ちもわかるけれども、相手は小学生。いつもはいい人なのに、そんな時にはつい感情的になって言っちゃいますよね。
そんな紡は心の傷を広げないように一生懸命生きています。フィリピンから母親とやってきた孤独な青年豪士(綾野剛)も、物がなくなれば自分たちだと言われるような人種差別を受けて育ちます。
紡と豪士は、ふとしたきっかけで知り合い、それぞれの傷を広げないように、それこそ優しさを持ち寄りながら触れ合っていきます。
ところが、12年後に同じ場所で起きた誘拐事件の犯人として豪士が疑われてしまいます。
親子ともどもこの田舎で異物として人種差別的な扱いを受けて、ひっそりと暮らしている豪士が犯人であるはずはないと思い、犯人でなければ良いのにと祈りながら画面を見守ります。
ところが、けっきょくあんな行動に出てしまいます。豪士の母親が日本人でないことによる田舎の人たちによる差別。きっとこの差別が生んだ歪みが豪士という人間を育んでしまったのでしょう。
どうしてあんな事になってしまったのか、防げる方法はなかったのかと思いますが、それはないのです。
なぜなら日本人、特に田舎に住む人の特有の性質があるからではないかと思うのです。田舎の人は時にかなり非情です。とくに昔から言われる村意識というのでしょうか?
この村意識的なことが原因の事件は、きっと毎日のようにあちこちで起きていると想像できます。
その後登場する、早くに奥様に先立たれ、子供時代を過ごした田舎に戻ってきたのが善次郎(佐藤浩市)さんです。
この善次郎さんは、ご近所のみなさんの「便利屋」として、朝早くから夜遅くまで、自身の家業の養蜂をしながらも必死でたったひとりでがんばっていたのに。
そうそう、よく言われるコミュニケーションだってしっかり取っていました。それでもあのような目に遭ってしまうのです。そしたら、そりゃ、結局あのようなラストになりますよ。
紡のように、一番の親友と一緒に帰る道のY字路で親友はいなくなり、自身が生き残っていることで言われる雑言や自分は生きていて良いのか?という不安な心を察する隣人がいないこと。
豪志の場合のように、犯人が誰7日なのかわからないうちから、自分たちで犯人を勝手に仕立て上げることができるような移民者への「人種差別」。
善次郎のように、殺人なんて夢にも思わないような人が殺人者になってしまう「村八分」に代表される「集落の問題」などはそこらへんにあふれているのが現状。
先日も情報番組でコロナが収束したら行きたい外国は?というアンケートで海外のみなさんは日本を2位に選んでくれました。
選ばれたふさわしい国にならなくてはいけない気がしますが、この映画を見てそれには絶望的に長い時間が必要だよね。と感じた次第で、実際にむずかしい問題ですよね。
たまにこういった映画を見て自身を振り返り、襟を正すのはとても良いことでは?あんまり楽しい映画ではないけど。
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